の豕の鼻よく利《き》き、雉《きじ》、熟兎等をよく見付けたが野兎には利かなんだと。またいわく、野猪は群を成して共同に防禦する。ある人ヴェルモントの曠野で野猪の大群至って不安の様子なるを見るに、毎猪頭を外に向けて円を形成し、円の中心に猪子を置く。その時一つの狼種々に謀って、一猪を捉《とら》んと力《つと》めいた。その人その場を去って還り、往って見れば、猪群既に散じて狼は腹|割《さ》かれて死しいた。シュマルダが覩《み》た家猪の一群は、二狼に遇いてたちまち※[#「木+厥」、第3水準1−86−15]状《くつわじょう》の陣を作り鬣《たてがみ》を立て呻《うめ》いて静かに狼に近づく。一狼は遁れたが、今一つの狼は樹の幹に飛び上った。猪群来って中を取り囲むと、狼、群を飛び越ゆる。その時遅くかの時速く、たちまち猪に落され仕留められたと、これは欧州の家猪の高名だが、猪の類多くは一致共同して敵に勝つと見える。
 南米にベッカリーという獣二種ありて、後足に三趾を具うるので前後足とも四趾ある東半球の猪属と異なり、また猪と違うて尾が外へ見《あら》われず、鹿や羊に近くその胃が複雑し居る(一九二〇年版『剣橋《ケンブリッジ》動物学』十巻二七九頁)。腰上に臍《へそ》に似た特異の腺ある故ジコチレス(二凹の義)の学名が附けられ、須川賢久氏の『具氏博物学』などには臍猪の訳名を用いた。その上牙は直ぐに下に向い出で、猪属の上牙が外や上に曲り出るに異なるなり(『大英百科全書』十一板二十一巻三二頁)。南米の土人これを飼いて豕とし温和なること羊のごとくなる。身長三フィートばかりの小獣でその牙短小といえども至って尖《とが》り、かつ両刃あり怖ろしい傷を付ける。五十|乃至《ないし》数百匹群を成して夜行し、昼は木洞中に退いて押し合いおり、最後に入ったものが番兵の役を勤む。行く時は堅陣を作り、牡まず行き牝は子を伴れて随う。敵に遇わば共同して突き当る。その猛勢に猟士また虎(ジャグアル)も辟易して木に上りこれを避くる由(フンボルトの『旅行自談』ボーンス文庫本二巻二六九頁、ウッドの『動物画譜』巻一)。
『淵鑑類函』四三六に服虔曰く、猪性触れ突く、人、故に猪突|※[#「豬のへん+希」、第3水準1−92−23]勇《きゆう》というと。いわゆるイノシシ武者で、※[#「豬のへん+希」、第3水準1−92−23]は南楚地方で猪を呼ぶ名だ。『※[#「竹か
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