起するは、昔大阪のどこかへ狂歌師某が宝珠の絵の額面を掲げて、「瑳《みが》いたら瑳いたゞけに光るなり、性根玉でも何の玉でも」と書くと、いつの間に誰か書き副《そ》えて、「光るかの蒟蒻玉《こんにゃくだま》ときん玉と、こんな歌よむ性根玉でも」とあったと『一話一言』で読んだ。北尾辰宣の筆ならんてふ異体の百人一首に、十種の男を品隲《ひんしつ》して白を第六等に※[#「宀/眞」、第3水準1−47−57]《お》き、リチャード・バートンはアラビア人が小唇の黒きを貴ぶ由をいった(一八九四年版『千一夜譚』注)。白人は白い物と心得た人が多いが、件《くだん》の『滑稽集』の文でやはり白くないと判る。
花咲爺の咄《はなし》は誰も知る通り、犬に情け厚かった老爺はその犬の灰で枯木に花を咲かせて重賞され、犬に辛かった親仁《おやじ》はそれを羨んで灰を君公の眼に入れて厳罰された次第を述べたのだが、近刊佐々木喜善君の『江刺《えさし》郡昔話』に出でいる灰蒔き爺の話は教科書に載ったものとは異態で、田舎びたるだけこの話の原始的のものたるを示す。その概略は、川上川下に住む二人の爺が川に筬《やな》を掛けると、上の爺の筬に小犬、下の爺のに
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