多く、予かの地にあった時も、一人かくして露国より逃げ来ったを見たと。
 ベーコン卿の『シルヴァ・シルワルム』に、犬が犬殺しを識るは普通に知れ渡った事で、狂犬荒るる時|微《ひそ》かに卑人を派して犬を殺さしむるに、かつて犬殺しを見た事もなき犬ども集り来て吠え奔《はし》ると。『程氏遺書』に曰く、犬屠人を吠ゆ、世に伝う、物ありこれに随うとは非なり、これ正に海上の鴎《かもめ》のごときのみと。これは宋人が屠者には殺された犬の幽霊が降《つ》き歩く、それを見て犬が吠えるといったに対して程子は、『列子』に見えた海上の人鴎に親しみ遊んだが、一旦これを捕えんと思い立つと鴎が更に近付かなんだ例に同じく、屠者に殺意あれば犬直ちにこれを感じ知ると考えたのだ。予もかつて、ある妖狐を畜《か》って富を致す評ある人が町を通ると、生まれて数月なる犬児が吠え付き、その袖や裾に噛み付いて息《や》まず、それを見いた飼主が気の毒がってその犬児を棄てた始終を黙って見届けた事がある。狐に富を貰《もら》うなどの事は措《お》いて論ぜず、とにかく犬などには人に判りにくい事を速やかに識る能力があるらしい。ちょうど大人の眼に付かぬ微物を小児が疾
前へ 次へ
全69ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング