録』五にズルガル部落を記して、〈最も喇嘛《ラマ》を重んず云々、遥かにこれを見ればすなわち冠を免《ぬぎ》て叩著《こうちょ》す、喇嘛手にてその頂を摩し、すなわち勝れてこれを抃舞《べんぶ》す、女を生めば美麗なるを択びてこれを喇嘛に進むるに至る、少婦疾病あるに遇えば、すなわち喇嘛と歇宿《けっしゅく》せんことを求む、年を経《へ》月を累ね、而して父母本夫と忻慰《きんい》す、もしあるいは病危うければ本夫をして領出せしめ、ただその婦の薄福を歎ずるのみ〉。前述一向宗徒が門跡様をありがたがったごとし。ジュボアの『印度の風俗習慣および礼儀』二巻六〇九頁等に、梵士が神の妻にするとて美婦を望むに、親や夫が悦んでこれを奉り、梵士の慰み物としてその寺に納《い》れる由を記す。
男女が逢瀬の短きを恨んで鶏を殺す和漢の例を上に挙げたが、それと打って異《かわ》った理由から鶏を殺す話がイタリアにある。貧しい少女が独り野に遊んで、ラムピオン(ホタルブクロの一種で根が食える)を抜くと、階段が見える。歩み下ると精魅の宮殿に到り、精魅らかの少女を愛する事限りなし。それより母の許へ帰らんと望むに、許され帰る。その後、夜々形は見えずに
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