。その鶏を献じた者が今の曠野手王に生まれ、昔の願力に由ってこの厄難を免れたと。この話自身は余りゾッとせぬ(『根本説一切有部毘那耶《こんぽんせついっさいうぶびなや》』四七、『雑宝蔵経』七参酌)。明の永楽十五年に成った『神僧伝』九にいわく、嘉《か》州の僧、常羅漢は異人で、好んで人に勧めて羅漢斎を設けしめたからこの名を得、楊氏の婆、鶏を好み食い、幾千万殺したか知れず、死後家人が道士を招いて※[#「酉+焦」、第4水準2−90−41]祭《しょうさい》する所へこの僧来り、婆の子に向い、われ汝のために懺悔してやろうという。楊家甚だ喜び、延《ひ》き入れると、僧その僕に街東第幾家に往って、花雌鶏一隻を買い来らしめ、殺し煮て肉を折《き》り、盤に満て霊前に分置し、その余りを食い、挨拶なしに去った。この夕、鶏を売った家と楊氏とことごとく夢みたは、楊婆来り謝して、存生《ぞんじょう》時の罪業に責められ、鶏と生まれ変り苦しむところを、常羅漢悔謝の賜ものに頼《よ》りて解脱したと言うと、これより郡人仏事をなすごとにこの僧が来れば冥助を得るとしたと。
坊主が自分の好く物を鱈腹《たらふく》頬張って得脱させやったと称えた例
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