。鬼、宮に入れば、仏、また還り、入る事三度して四度目に仏出でず、鬼神怒って出でずんば汝の脚を捉え、恒河《ごうが》裏に擲《な》げ込むべしというに、仏いわく、梵天様でも天魔でも我を擲《なげう》つ力はないと。鬼神ちとヘコタレ気味で四つの問いを掛けた。誰か能く駛《はや》い流れを渡る、誰か能く大海を渡る、誰か能く諸苦を捨つる、誰か能く清浄を得るぞと。仏それは御茶の子だ、信能く駛流《しりゅう》を渡り、放逸ならぬ者能く大海を渡り、精進能く苦を抜き、智慧能く清浄を得と答うると、鬼神さもあろう、それもそうよのうと感心して仏弟子となり、手に長者の男児を捉えて仏の鉢中に入れた、曠野鬼神の手から救われ返った故この児を曠野手と名づけ王となる。仏と問答してたちまち悟り、病死して無熱天に生まれた。仏いわく、過去に一城の王好んで肉を食らう。時に王に求むる所ある者、鶏を献じ、王これを厨人《ちゅうじん》に渡し汁に焚《た》かしめた。かの鶏を献じた人、もとより慈心あり、鶏の罪なくして殺さるるを哀しみ、厨人よりこれを償い放ち、この王の悪業願わくは報いを受くるなかれ、我来世厄難に遭《あ》う時、えらい大師が来って救いたまえと念じた
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