もこの城の人々こそ怪《け》しからね、自分妻を迎うるとてはまず他人の自由にせしむ、何とかしてこの事を絶ちたいと左思右考の末、白昼衆人中に裸で立ち小便した。立ち小便については別に諸方の例を挙げ置いたが(立小便と蹲踞《そんこ》小便)、その後見出でたは、慶安元年板『千句独吟之俳諧』に「佐保姫ごぜや前すゑて立つ」、「余寒にはしばしはしゝを怺《こら》へかね」、まずこれが日本で女人立ち尿《いばり》の最古の文献だ。ずっと前に源|俊頼《としより》の『散木奇歌集《さんぼくきかしゅう》』九に、内わたりに夜更けてあるきけるに、形《かたち》よしといわれける人の打ち解けてしとしけるを聞きて咳《しわぶ》きをしたりければ恥じて入りにけり、またの日遣わしける「形こそ人にすぐれめ何となくしとする事もをかしかりけり」。打ち解けて人に聞かるるほど垂れ流したのだから、これは宮女立ち小便の証拠らしくもある。それはさて置き、曠野城の嫁入り前の女子が昼間|稠人《ちゅうじん》中で裸で立ち尿をした空前の手際に、仰天して一同これを咎《とが》めると、女平気で答うらく、この国民はすべて意気地なしで女同然だ。而して将軍独りが男子で婚前の諸女を弄
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