生ずと大悦びした。また、勝浦港では年頃に及んだ処女を老爺に托して破素してもらい、米、酒、および桃紅色の褌《ふんどし》を礼に遣わした。『中陵漫録』十一にいわく、羽州米沢の荻村では媒人が女の方に行きてその女を受け取り、わが家に置く事三夜にして、餅を円く作って百八個、媒が負うて女を連れ往き婚礼を調《ととの》うと。ローマの議院でシーザーに一切ローマ婦人と親しむ権力を附くべきや否やを真面目《まじめ》に論じた例あり。スコットランドでは中古牛を以て処女権を償うに、女の門地の高下に従うて相場異なり、民の娘は二牛、士の娘は三牛、太夫の娘は十二牛などだ。イングランドはこれに異なり民の娘のみこの恥を受けた(ブラットンの『ノート・ブック』巻二六)。藤沢君の『伝説』信濃巻に百姓の貢米《ぐまい》を責められて果す事が出来ないと、領主は百姓の家族の内より、妻なり、娘なりかまわず、貢米賃というて連れ来って慰んだ由見える。これも苛税をはたす奇抜な法じゃ。
処女権の話に夢中になってツイ失礼しました。さて、曠野城の大将の恒例として、城内の人が新婦を娶るごとに処女権を振り廻す。ある時一女子あって人に嫁せんとするに臨み、そもそ
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