べし。ただ何となき児姿《ちごすがた》をこそいえ心はただなおにこそ思わめ」と譏《そし》られた男子同性愛も、事|昂《こう》ずればいわゆるわけの若衆さえ、婦女同然の情緒を発揮して、別れを恨んで多数高価の鶏を放つに至ったのだ。わが国でこの類の最も古いらしい伝説は、神代に事代主命《ことしろぬしのみこと》小舟で毎夜|中海《なかうみ》を渡り、楫屋《いや》村なる美保津姫《みほつひめ》に通うに、鶏が暁を告ぐるを聞いて帰られた。一夜、鶏が誤って夜半に鳴き、命《みこと》、周章舟を出したが櫓《ろ》を置き忘れ、拠《よんどころ》なく手で水を掻いて帰る内、鰐《わに》に手を噬《か》まれた。因って命と姫を祀《まつ》れる出雲の美保姫社辺で鶏を飼わず。参詣者は鶏卵を食えば罰が中《あた》るとて食わぬ(『郷土研究』一巻二号、清水兵三氏報)。
『秋斎間語』二に「尾州一の宮の神主《かんぬし》、代々鶏卵を食せず云々、素戔嗚尊《すさのおのみこと》の烏の字を鳥に書きたる本を見しよりなり。熱田には筍《たけのこ》を食わず、日本武尊《やまとたけるのみこと》にて座《ましま》す故となん云々。さいえば天下の神人はすべて紙は穢れたる事に使うまじきや。
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