鳥はものかは」「何処《いずこ》にも飽かぬは鰈《かれい》の膾《なます》にて」「これなる皿は誉《ほ》める人なし」とは面白く作ったものだ。※[#「广+諛のつくり」、第3水準1−84−13]肩吾《ゆけんご》の冬暁の詩に、〈隣鶏の声すでに伝わり、愁人ついに眠らず〉。楊用脩の継室黄氏夫に寄する詩に、〈相聞空しく刀環の約あり、何《いつ》の日か金鶏夜郎に下らん〉、李廓の鶏鳴曲に、〈星稀に月没して五更に入る、膠々《こうこう》角々鶏初めて鳴く、征人馬を牽いて出でて門立つ、妾を辞して安西に向いて行かんと欲す、再び鳴きて頸を引く簷頭《えんとう》の下、月中の角声馬に上るを催す、わずかに地色を分ち第三鳴、旌旆《せいはい》紅塵《こうじん》すでに城を出《い》づ、婦人城に上りて乱に手を招く、夫婿聞かず遥かに哭する声、長く恨む鶏鳴別時の苦、遣らず鶏棲窓戸に近きを〉。支那にも鶏に寄せて閨情を叙《の》べたのが少なくない。余一切経を通覧せしも、男女が鶏のつれなさを恨んだインドの記事を一つも見なんだ。欧州にも少ないらしい。日本に至っては逢うて別るる記述|毎《つね》に鶏が引き合いに出る。『男色大鑑』八に芝居若衆峰の小曝《こざら》し
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