《きつ》にはめけん鶏《くだかけ》の、まだきに鳴きてせなをやりつる」。後世この心を「人の恋路を邪魔する鳥は犬に食われて死ぬがよい」とドド繰《く》ったものじゃ。『和泉式部家集』五、鶏の声にはかられて急ぎ出でてにくかりつれば殺しつとて羽根に文を附けて賜われば「いかゞとは我こそ思へ朝な/\、なほ聞せつる鳥を殺せば」、これは実際殺したのだ。劉宋の朝の読曲歌にも〈打ち殺す長鳴き鶏、弾じ去る烏臼《うきゅう》の鳥〉。『遊仙窟』には〈憎むべし病鵲《びょうじゃく》夜半人を驚かす、薄媚《はくび》の狂鶏三更暁を唱う〉。呉の陸※[#「王+饑のつくり」、第3水準1−88−28]《りくき》の『毛詩草木虫魚疏』下に、〈鶴常に夜半に鳴く〉。『淮南子《えなんじ》』またいう、〈鶏はまさに旦《あ》けんとするを知り、鶴は夜半を知る、その鳴|高亮《こうりょう》、八、九里に聞ゆ、雌は声やや下る、今呉人|園囿《えんゆう》中および士大夫家の皆これを養う、鶏鳴く時また鳴く〉と見ゆれば、鶏と等しく鶴も時を報ずるにや。それから例の「待つ宵に更《ふけ》行く鐘の声聞けば、飽かぬ別れの鳥は物かは」に因《ちな》んで、『新増犬筑波』に、「今朝のお汁の
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