たら、歯が最も疼むと答うるに限る。孟軻《もうか》の語に、志士は溝壑《こうがく》にあるを忘れず、勇士はその元《こうべ》を喪《うしな》うを忘れずと。余は昨今のごとき騒々しい世にありて、キンダマの保全法くらいは是非|嗜《たしな》み置かねばならぬと存ずる。
ベロアル・ド・ヴェルヴィユの『上達方』に、鶏卵の笑談あまたある。その一、二を挙げんに、マーゴーてふ下女、座敷の真中に坐せる主婦に鶏卵一つ進《まい》らする途中、客人を見て長揖《ちょうゆう》する刹那、屁をひりたくなり、力《つと》めて尻をすぼめる余勢に、拳《こぶし》を握り過ぎて卵を潰し、大いに愕《おどろ》いて手を緩《ゆる》めると、同時に尻大いに開いて五十サンチの巨砲を轟《とどろ》かしたが、さすがのしたたかもので、客の怪しみ問うに対してツイ豆をたべたものですからといったとある。その頃仏国でも豆は屁を催すと称えたのだ。全体この書は文句|麁野《そや》、下筆また流暢ならず、とても及ぶべくもないが、古今名人大一座で話し合う所を筆記した体に造った点が、馬琴の『昔語質屋庫』にやや似て居る。たとえば医聖ガリアンが、ブロアの一少婦が子を産み、その子女なりと聞いて
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