行く。百姓は鶏代の事を法師に告げくれた事と心得、かの人の去るに任す。所へ法師来たので金を受け取ろうと手を出すと、法師は百姓に、跪《ひざまず》いて懺悔せよと命じ、自ら十字を画《えが》き、偈《げ》を誦《じゅ》し始めた。これに似た落語を壮年の頃東京の寄席で聴いたは、さる男、吉原で春を買いて勘定無一文とは兼ねての覚悟、附《つ》け馬《うま》男を随えて帰る途上、一計を案じ、知りもせぬ石切屋に入りてその親方に小声で、門口に立ち居る男が新死人の石碑を註文に来たが、町不案内故|通事《つうじ》に来てやったと語り、さて両人の間を取り持ち種々応対する。用語いずれも意義二つあって、石切屋には石の事、附け馬には遊興の事とばかり解せられたから、両人相疑わず、一人は急ぐ註文と呑み込んで石碑を切りに掛かれば、一人は石を切り終って揚代《あげだい》を代償さると心得て竢《ま》つ内、文なし漢は両人承引の上はわれここに用なしと挨拶して去った。久しく掛かり碑を切り終って、互いに料金を要求するに及び、始めて食わされたと分るに及ぶ。その詐欺漢が二人間を通事する辞《ことば》なかなか旨《うま》く、故正岡子規、秋山真之など、毎度その真似をや
前へ 次へ
全150ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング