々と、税目《ぜいもく》日に新たなるを加うる様子だが、ややもすれば名は多少違いながら、実は同じ物から、二重三重取りになるから、色々と抗議が出る。そこで余は隋帝の故智《こち》に倣い、秀吉とか家康とか種々雑多の人物が国家のために殺生した業報《ごっぽう》で、地獄に落ちおるのを救うためと称して、毎度一人一銭ずつの追福税を厳課し、出さぬ奴の先霊もたちまち地獄へ落ちると脅《おど》したら、何がさて大本教を信ぜぬと目が潰れるなど信ずる愚民の多い世の中、一廉《ひとかど》の実入りを収め得るに相違ない。末広一雄君の『人生百不思議』に曰く、日本人は西洋人と異なり、神を濫造し、また黜陟《ちゅっちょく》変更すと。既に先年|合祀《ごうし》を強行して、いわゆる基本財産の多寡を標準とし、賄贈《わいぞう》請託を魂胆《こんたん》とし、邦家発達の次第を攷《かんが》うるに大必要なる古社を滅却し、一夜造りの淫祠を昇格し、その余弊今に除かれず、大いに人心|蕩乱《とうらん》、気風壊敗を致すの本《もと》となった。しかし毒食らわば皿までじゃ。むしろその事、葬式、問い弔いを官営として坊主どもを乾《ほ》し上げ、また人ごとに一銭の追福税を課し、
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