げ》一面に生じたと載す。支那でも周の武帝鶏卵を好き食い、抜彪《ばつひょう》なる者、御食を進め寵せらる。隋朝起ってなお文帝に事《つか》え食を進む。この人死後三日に蘇《よみがえ》り、文帝に申せしは、死して冥府《めいふ》に至ると、冥府の王汝武帝に進めし白団《はくだん》いくばくぞと問う。彪、何の事か解せず。傍の人、白団とは鶏卵じゃと教えたので、武帝が食うた卵の数は知れぬと答う。しからば帝食うただけの卵を出すべしとて、牛頭《ごず》人身《じんしん》の獄卒して、鉄床《かなとこ》上に臥《ふ》したる帝を鉄梁もて圧《おさ》えしむるに、両肩裂けて十余石ばかりの卵こぼれ出《い》づ。帝、彪に向い、汝|娑婆《しゃば》に還って大隋天子に告げ、我がこの苦を免れしめよと言うたと。文帝、すなわち天下に勅し、毎人一銭を出して武帝の追福を修めたそうだ(『法苑珠林』九四)。
 こんな詰まらぬ法螺談《ほらばなし》も、盗跖《とうせき》は飴《あめ》を以て鑰《かぎ》を開くの例で、随分有益な参考になるというのは、昨今中央政府の遣り方の無鉄砲に倣い、府県|争《きそ》うて無用の事業を起し、無用の官吏を置くに随い、遊興税から庭園税、それから何
前へ 次へ
全150ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング