の弟子と称し相《あい》誑《たぶら》かし、至る所の州郡守令出迎えて上舎に館する者あり、清州の牧使権和、その渠首《きょしゅ》五人を捕斬しようやく鎮《しず》まったという(『東国|通鑑《つがん》』五一)、当時高麗人日本を畏るるに乗じ、弥勒仏と詐称した偽救世主が出た。その事極めて米国を怖るる昨今|大本教《おおもときょう》が頭を上げたと似て居るぞよ[#「ぞよ」に白丸傍点]。怖れて騒ぐばかりでは何にもならぬぞよ[#「ぞよ」に白丸傍点]。支那にも北魏孝荘帝の時|冀《き》州の沙門法慶、新仏出世と称し乱を作《な》した(『仏祖統記』三八)。
 さて前回やり掛けた鶏足山の話を続ける。大迦葉が入定《にゅうじょう》して弥勒の下生《げしょう》を待つ所を、耆闍崛山《ぎしゃくつせん》とするは『涅槃経後分』に基づき、鶏足山とするは『付法蔵経』に拠る(『仏祖統紀』五)。『観弥勒菩薩下生経』に弥勒は鶏頭山に生まるべしとあれば、かたがたこの仏は鶏に縁厚いらしい。支那には雲南に鶏足山あり、一頂にして三足故名づく、山頂に洞《ほら》あり。迦葉これに籠って仏衣を守り弥勒を俟つという(『大清一統志』三一九)。本邦でも中尊寺の鶏足洞、遠州の鶏足山正法寺など、柳田氏の『石神《しゃくじん》問答』に古く鶏を神とした俗より出た名のごとく書いたようだが、全く弥勒と迦葉の仏説に因った号と察する。
 かく東洋では平等無差別の弥勒世界を心長く待つ迦葉と鶏足を縁厚しとし、したがって改造や普選の運動家はこれを徽章《きしょう》に旗標に用いてしかるべき鶏の足も、所変われば品《しな》変わるで、西洋では至って不祥な悪魔の表識とされ居るので面黒い。それは専ら中世盛んに信ぜられた妖鬼アスモデウスの話に基づき、その話はジスレリーの『文界奇観』等にしばしば繰り返され、殊にルサージュの傑作『ジアブル・ボアトー』に依って名高い。婬鬼の迷信は中古まで欧州で深く人心に浸《し》み込み、碩学高僧真面目にこれを禦《ふせ》ぐ法を論ぜしもの少なからず。実体なき鬼が男女に化けて人と交わり、甚だしきは子を孕ませまた子を孕むというので、ローマの開祖ロムルスとレムス、ローマの第六王セルヴィウス・ツリウス、哲学者プラトンやアレキサンダー王、ギリシアの勇将アリストメネス、ローマの名将スキピオ・アフリカヌス、英国の術士メルリン、耶蘇《ヤソ》新教の創立者ルーテルなどいずれも婬鬼を父として生まれたとか(一八七九年パリ板シニストラリの『婬鬼論』五五頁)、わが邦には古く金剛山の聖人|染殿《そめどの》后を恋い餓死して黒鬼となり、衆人の面前も憚《はばか》らず后を※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]乱《じょうらん》した譚あり(『今昔物語』二十の七)、近くは一九《いっく》の小説『安本丹《あんぽんたん》』に、安本屋丹吉の幽霊が昔|馴染《なじみ》の娼妓、人の妻となり、夫に添い臥《ね》た所へ毎夜通い子を生まし大捫択《だいもんちゃく》を起す事あり。欧州にも『ベルナルズス尊者伝』にナントの一婦その夫と臥た処を毎夜鬼に犯さるるに、夫熟睡して知らず、後|事《こと》露《あら》われ夫|惧《おそ》れて妻を離縁したと載せ、スプレンゲルはある人鬼がその妻を犯すを睹《み》、刀を揮《ふる》うて斬れども更に斬れなんだと記す。ボダン説に鬼交は人交と異なるなし、ただ鬼の精冷たきを異とすと。支那でも『西遊記』に烏鶏国王を井に陥《おとしい》れ封じた道士がその王に化けて国を治む、王の太子母后に尋ねて父王の身三年来氷のごとく冷たしと聞き、その変化《へんげ》の物たるを知り、唐僧師弟の助力で獅子の本身を現わさしめ、父王を再活復位せしめたとある。仏説にも男女もしくは黄門(非男非女の中性人)が売婬で財を得、不浄身もて妄《みだ》りに施さば死後欲色餓鬼に生まれ、随意に美男美女に化けて人と交会すという(『正法念処経』一七)、一六三一年ローマ板ボルリの『交趾《こうし》支那伝道記』二一四頁に、その頃交趾に婬鬼多く、貴族の婦女これと通ずるを名誉とし、甚だしきはその種を宿して卵を生む者あり、しかるに貧民は婬鬼を厭うの余り天主教に帰依してこれを防いだと出《い》づ。宋朝以来南支那に盛んな五通神は、家畜の精が丈夫に化けて暴《にわ》かに人家に押し入り、美婦を強辱するのだ(『聊斎志異《りょうさいしい》』四)。けだし婬鬼に二源あり、一は男女の精神異態より、夢うつつの間に鬼と交わると感ずる者。今一つは若干の古ローマ帝が獣皮を被って婦女を姦したごとく、特種の性癖ある者があるいは秘社を結び、あるいは単独で巧みに鬼の真似《まね》して実際婦女を犯したのだ。そのほかに人と通じながら世間を憚って鬼に犯されたと詐称したのもすこぶる多かろう。四十年ほど已前、紀州湯浅町の良家の若い妻が盆踊りを見に往きて海岸に※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−
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