し、また闘うてこれを殪《たお》す。古人これを猟《と》った唯一の法は、毎人鏡を持ちて立ち向うに、バシリスクの眼毒が鏡のためにその身に返り、自業自得でやにわに斃《たお》れたのだ。一説にこの物まず人を睨めば、人死すれど、人がまずこの物を見れば害を受けずと。さればドライデンの詩にも「禍難はコッカトリセの眼に異ならず、禍難まず見れば人死に、人まず見れば禍難亡ぶ」とよんだ(ブラウンの『俗説弁惑』ボーンス文庫本一巻七章および註。『大英百科全書』十一板六巻六二二頁。ハズリット『諸信および俚俗』一巻一三二頁)。一八七〇年板、スコッファーンの、『科学俚伝落葉集』三四二頁已下に、バシリスク譚は随分古く、『聖書』既にその前を記し、ギリシア・ローマの人々はこれを蛇中の王で、一たび嘯《うそぶ》けば諸蛇|這《は》い去るというた。中世に及んで多少鶏に似たものとなりしが、なお蛇王の質を失わで冠を戴くとされた。最後には劇毒ある蟾蜍《ひき》の一種と変った。初めはアフリカの炎天下に棲《す》んで他の諸動物を睨み殺し、淋しき沙漠を独占すといわれたが、後には、井や、鉱穴や、墓下におり、たまたま入り来る人畜を睨み殪すと信ぜられた。すべて人間は全くの啌《うそ》はなく、インドのモンネース獣は帽蛇《コブラ》と闘うに、ある草を以てその毒を制し、これを殺すという。それから鼬が芸香《るうだ》を以てバシリスクを平らげるといい出したのだ。また深い穴に毎《いつ》も毒ガス充《み》ちいて入り来る人を殺す。それを不思議がる余り、バシリスクの所為と信じたのだと説いたは道理ありというべし。一八六五年板、シーフィールドの『夢の文献および奇事』二巻附録夢占字典にいわく、女がバシリスクを産むと男が夢みればその男に不吉だが、女がかかる夢を見れば大吉で、その女富み栄え衆人に愛され為《な》すところ成就せざるなしと。
十六世紀のバイエルン人、ウルリッヒ・シュミットの『ラプラタ征服記』のドミンゲズの英訳四三頁に当時のドイツ人信じたは、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《わに》の息《いき》人に掛かれば人必ず死す。また、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]、井中にあるを殺すには、鏡を示して自らその顔の獰悪《どうあく》なるに懼《おそ》れ死にせしむるほかの手なしと。されど我自ら三千以上の※[#「魚+王の中
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