、女の子は入らぬ元の所へ戻し入れておくれといったは面白いというと、古文家ボッジュが、緬羊児を買いてその尾に山羊児の尾を接《つ》いだというのがあって一層面白いという(ここ脱文ありと見え意義多少分らず)、アスクレピアデスは、牝鶏よく卵を生むと見せるため、その肛門に卵を入れ置いたをある女が買ったが、爾後一向卵を産まなんだと語る所がある。
 西鶴の『一代男』二、「旅の出来心」の条、江尻の宿女せし者の話に「また冬の夜は寝道具を貸すようにして貸さず、庭鳥のとまり竹に湯を仕掛けて、夜深《よぶか》に鳴かせて夢|覚《さ》まさせて追い出し、色々つらく当りぬるその報いいかばかり、今|遁《のが》れてのありがたさよ云々」。この湯仕掛けで鶏を早鳴《はやなき》せしむる法は中国書にもあったと記憶する。木曾の松本平の倉科《くらしな》様ちゅう長者が、都へ宝|競《くら》べにとて、あまたの財宝を馬に積んで木曾街道を上り、妻籠《つまご》の宿に泊った晩、三人の強盗、途中でその宝を奪おうと企て、その中一名は宿屋に入って鶏の足を暖め、夜更《よふけ》に時を作らせて、まだ暗い中に出立させた。長者が馬籠《まごめ》峠の小路に掛かり、字《あざ》男垂《おたる》という所まで来た時、三賊出でて竹槍で突き殺し、宝を奪い去った。その宝の中に黄金の鶏が一つ落ちて、川に流れて男垂の滝壺に入った。今も元旦にその鶏がここで時を作るという。長者の妻、その後《のち》跡を尋ね来てこの有様を見、悲憤の余りに「粟稗たたれ」と詛《のろ》うた。そのために後日、向山という所大いに崩れ、住民|困《くるし》んで祠《ほこら》を建て神に祀《まつ》ったが、今も倉科様てふ祠ある(『郷土研究』四巻九号五五六頁、林六郎氏報)。阿波の国那賀郡桑野村の富人某方へ六部来て一夜の宿をとった。主人その黄金の鶏と、一寸四方の箱に収まる蚊帳《かや》を持ちいると聞き、翌朝早く出掛けた六部の跡をつけ、濁りが淵で斬り殺した。鶏は飛び去ったが蚊帳は手に入った。その六部の血で今も淵の水赤く濁る。その家今もむした餅を搗《つ》かず、搗けば必ず餅に血が雑《まじ》るのでひき餅を搗く。蚊帳は現存す(同上一巻二号一一七頁、吉川泰人氏報)。
『甲子夜話』続一三に、ある人曰く、大槻玄沢《おおつきげんたく》が語りしは、奥州栗原郡三の戸畑村の中に鶏坂というあり。ここより、前《さき》の頃純金の鶏を掘り出だしける事あり
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