志』二二四)。
 諸国あまねく白鶏を殊勝の物としたのだ。[#地から2字上げ](大正十年二月、『太陽』二七ノ二)

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『甲子夜話』続一七にいわく、ある老人耳聞えず、常に子孫に小言をいう。ある日客ありし時に子供を顧みて物語るは、今時の者はどうも不性なり。我らが若き時はかようにはなしという時、飼い置きし鶏|側《かたわら》より時をつくる。老人いわく、あれ聞きたまえ人ばかりでなし、鶏さえ今時は羽敲《はばた》きばかりして鳴きはしませぬと。かかる話は毎度繰り返さるるもので、数年前井上馨侯耳聾して、浄瑠璃語りの声段々昔より低くなった、今の鶏もしかりと呟《つぶや》いたと新紙で読んだ。またいわく、ある侍今日は殊に日和《ひより》よしとて田舎へ遊山《ゆさん》に行き、先にて自然薯《じねんじょ》を貰《もら》い、僕《しもべ》に持せて還る中途|鳶《とび》に攫《つか》み去らる、僕主に告ぐ、油揚《あぶらあげ》ならば鳶も取るべきに、薯《いも》は何にもなるまじと言えば、鳶、樹梢で鳴いてヒイトロロ[#「トロロ」に白丸傍点]、ヒイトロロ[#「トロロ」に白丸傍点]。一八九一年オックスフォード板、コドリングトンの『ゼ・メラネシアンス』に、癩人島の俗譚に十の雛《ひな》もてる牝鶏が雛をつれて食を求め、ギギンボ(自然薯の一種)を見付けるとその薯根|起《た》ち出て一雛を食うた。由って鳶を呼ぶと鳶教えて一同を自分の下に隠す、所へ薯来って、鳶汝は鶏雛の所在を知らぬかと問うに、知らぬと答え、薯怒って鳶を詈《ののし》る。鳶すなわち飛び下って薯を掴《つか》み、空を飛び舞いて地へ堕《おと》すを、他の鳶が拾うて空を飛び廻ってまた落すと、薯二つに割れた。それを二つの鳶が分ち取ったから薯に味良いのと悪いのがあるようになったというと記す。面白くも何ともない話だが、未開の島民が薯に良し悪しあるを知って、その起因を説くため、かかる話を作り出したは理想力を全然|闕如《けつじょ》せぬ証左で、日本とメラネシアほど太《いた》く距《へだ》たった両地方に、偶然自然薯と鳶の話が各々出で来た。その偶合がちょっと不思議だ。
 鶏を入れた笑談を少し述べると、熊野でよく聞くは、小百姓が耕作終って帰りがけに、烏がアホウクワと鳴くを聞いて、鍬《くわ》を忘れたと気付き、取り帰ってさすがは烏だ、内の鶏なんざあ何の役にも立たぬと誹《そし》ると、鶏憤ってトテコ
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