ーカアと鳴いたという。『醒睡笑《せいすいしょう》』二に、若衆あり、念者に向いて、今夜の夢に、鶏のひよこを一つ金にて作り、我に給いたるとみたと語ると、我も只今の夢にそのごとくなる物を参らせると、いやといってお返しあったと見た事よとある。西洋にはシセロ説に寝牀《ねどこ》の下に鶏卵一つ匿《かく》されあると夢みた人が、判じに往くと、占うて、卵が匿され居ると見た所に財貨あるべしと告げた。由って掘り試むるに、銀あって中に夥しく金を裹《つつ》めり、その銀数片を夢判じにやると、銀より金が欲しい思《おぼ》し召しから、卵黄《きみ》の方も少々戴きたいものだと言うたそうな。一五二五年頃出た『百笑談』てふ英国の逸書に、田舎|住居《ずまい》の富人が、一人子をオックスフォードへ教育にやって、二、三年して学校休みに帰宅した、一夜食事前に、その子、我日常専攻した論理学で、この皿に盛った二鶏の三鶏たるを証拠立つべしというので、父それは見ものだ、やって見よ、と命ずると、その子一手に一鶏を執ってここに一鶏ありといい、次に両手で二鶏を持ってここに二鶏ありといい、一と二を合せば三、故に総計三鶏ありと言うた。その時父自ら一鶏を取り、他の一鶏を妻に与えて、子に向い、一つは余、今一つは汝の母の分とする。第三番めの鶏は汝の論理の手際で汝自ら取って食え、と言ったので、子は夜食せずに済ませた。だから鈍才の者に理窟を習わすは、大いに愚な事と知るべしと出《い》づ。先頃手に鶏を縛るの力もないくせに、一廉《ひとかど》労働者の先覚顔して、煽動した因果|覿面《てきめん》、ちょっとした窓の修繕や半里足らずの人力車を頼んでも、不道理極まる高い賃を要求されて始めて驚き、自ら修繕し、自ら牽き走ろうにも力足らず、労働者どもがそんなに威張り出したも誰のおかげだ、義理知らずめと詈っても取り合ってくれず、身から出た銹《さび》と自分を恨んで、ひもじく月を眺め、膝栗毛《ひざくりげ》を疲らせた者少なくなかったは、右の富人の愚息そのままだ。かく似て非なる者を、仏経には烏骨鶏《うこっけい》に比した。
 六群|比丘《びく》とて仏弟子ながら、毎《いつ》も戒律を破る六人の僧あり。質帝隷居士、百味の食を作り、清僧を請じ、余り物もてこの六比丘を請ぜしに、油と塩で熬《に》た魚をくれぬが不足だ。それをくれたら施主が好《よ》き名誉を得ると言うた。居士曰く、過去世に群鶏林中に
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