、例推するに本邦で上世、晨すなわち日の出る事をアズマと呼び、東は日の出る方故、東国を朝早く鳴く鶏に併《あわ》せて鳥が鳴く吾妻と称えただろうと、洵《まこと》に正説で、ドイツでも朝も東も通じてモルゲンと名づくる。前述の通り、『淮南子』に〈鶏まさに旦《あした》ならんを知り、鶴夜半を知る〉とあり、呉の陸※[#「王+饑のつくり」、第3水準1−88−28]は、鶴は鶏鳴く時また鳴くといった。烏が朝暮に定まって鳴くは周知された事、したがって伊勢・熱田等に鶏を神物とすると同時に、熊野を始め烏を神使とした社が多い。古エジプトには狗頭猴が旦暮に噪《さわ》ぎ叫ぶよりこれを日神の象徴とした。予は不案内だが、親友小鳥好きの人の話に、駒鳥は夜の九時になると必ずチーンと一声鳴き、爾後静まり返って朝まで音もせぬ由。当否は論ぜず、この事あるに由って古人が支那書の知更雀を駒鳥と訓《よ》ませたと見える。東牟婁郡第一の高山、大塔の峰で年久しく働く人々に聞いたは、かの山難所で時計など持ち行く者なく、鶏飼うべき所もないが、ちょうど一番鶏の鳴く頃ゴキトウゴキトウと鳴く鳥あり。暁に近づくとニエニエと鳴く鳥あり。昨夜はゴキトウの鳴くまで飲んだとか、ニエの声で起きたとか、あらまし時計代りに語り用ゆと。時計の運搬のならぬ処までも酒は行き渡り居るらしい。支那の三十六禽に雉と烏を鶏に属したは、鶏、烏と斉《ひと》しく雉も朝夕を報ずるものにや。『開元天宝遺事』に商山の隠士高太素、一時ごとに一猿ありて庭前に詣《いた》り鞠躬《きっきゅう》して啼《な》く、目《なづ》けて報時猿と為《な》すと、時計の役を欠かさず勤めた重宝な猿松だ。『洞冥記』に影娥池の北に鳴琴の院あり、伺夜鶏あり、鼓節に随って鳴く、夜より暁に至る、一更ごとに一声を為《な》し、五更に五声を為す、また五時鶏というとある。時計同様に正しく鳴く鶏だ。『輟耕録』二四にかつて松江鍾山の浄行菴に至って、一の雄鶏を籠にして殿の東簷《とうえん》に置くを見てその故を請い問う。寺僧いわく、これを畜《こ》うて以て晨《しん》を司《つかさど》らしむ。けだし十余年なり、時刻|爽《たが》わずと、余|窃《ひそ》かに記す。張公文潜の『明道雑志』にいわく、鶏|能《よ》く晨を司る事経伝に見《あら》われて以て至論と為す、しかれどもいまだ必ずしも然らざるなり。あるいは天寒く鶏|懶《ものう》ければまさに旦ならんとする
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