頃既にあったのだ。チドレヤガレラで鶏をトコ、アルチャゴおよびトボでトフィ(ワリス同前)、ファテ等でト、セサケ等でトア、エロマンガでツオ、ネンゴネでチテエと名づくるなど攷《かんが》え合すと、本邦のトトは雄鶏の雌を呼ぶ声に由ったものらしい、魚をトトというは異源らしい。『骨董集』上編上を見よ。
『下学集《かがくしゅう》』上、鶏一名|司晨《ししん》云々、日本にて木綿付鳥《ゆうつけどり》、あるいはいわく臼辺鳥《うすべどり》、これは臼の辺に付け纏《まつ》わって米を拾うからの名であろう。ユウツケ鳥は三説あり、『松屋《まつのや》筆記』七に鶏は申《さる》の時(午後四時)に夕を告げて塒《ねぐら》に籠《こも》るが故に、夕告鳥というにや云々。『敏行歌集』に「逢坂《おうさか》のゆふつけになく鳥の名は聞きとがめてぞ行き過ぎにける」、鳥も夕を告げて暮に向う頃なるに関守《せきもり》は聞き咎めもせず関の戸も閉ざさざれば人も行き過ぎぬとなり。集外三十六歌仙里見玄陳歌にも「遠方《おちかた》に夕告鳥の音すなり、いざその方《かた》に宿りとらまし」とあって、拙宅の鶏に午後四時に定《き》まって鳴くのがある。今一説はユウツケを木綿付と釈くので、仲実《なかざね》の『綺語抄』下にゆうつけ鳥、公の御禊《おはら》えに鶏にゆうを付けて逢坂に放つなりとある。鶏をはたた鳥ともいう(『円珠庵雑記』)は、虫にはたはたあるごとく、翼を叩いて出す音に因ったのだ。『万葉』七に「にはつとりかけのたりをのみたれ尾の、長き心も思はさるかも」。ニワツトリまたニワトリは庭に飼うからの名だ。その他ヤコエノトリ、ネザメドリ、アケツゲドリ、ナガナキドリ、トコヨノトリと種々に異名ある(『重訂本草啓蒙』四四)。「神代巻」や『古事記』に、天照大神《あまてらすおおみかみ》岩戸籠《いわとごも》りの時、八百万《やおよろず》の神、常世《とこよ》の長鳴鳥《ながなきどり》を聚《あつ》め互いに長鳴せしめたと見ゆ。本居宣長曰く、常世の長鳴鳥とは鶏をいう。常世は常夜《とこよ》で常世とは別なり。言の同じきままに通じて、字にはこだわらず書けるは古の常なり。ここに今かく常夜往時に集《つど》えて鳴かせし鳥たるを以て後に負わせし称なるを、その始めへ廻らしてかくのごとくいえるなりと。『淵鑑類函』四二五、『広志』曰く、〈并州の献ずるところ、呉中長鳴鶏を送る〉、また〈九真郡長鳴鶏を出す〉。『
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