絶ち、かの僧その寺を中興すと載す。漢の焦延寿の『易林』に巽《そん》鶏と為すとあれば、そんけいは巽鶏《そんけい》だ、圭《けい》の字音に拠《よ》って蛙をケイと読み損じて、巽《たつみ》の方の三足の蛙と誤伝したのである。
 熊野地方の伝説に、那智の妖怪一ツタタラは毎《いつ》も寺僧を取り食う。刑部左衛門これを討つ時、この怪鐘を頭に冒り戦う故矢|中《あた》らず、わずかに一筋を余す。刑部左衛門最早矢尽きたりというて弓を抛り出すと、鐘を脱ぎ捨て飛び懸るを残る一筋で射殪《いたお》した。この妖怪|毎《いつ》も山茶《つばき》の木製の槌と、三足の鶏を使うたと。槌と鶏と怪を為《な》す事、上述デンデンコロリの話にもあり、山茶の木の槌は化ける、また家に置けば病人絶えずとて熊野に今も忌む所あり、拙妻の麁族《そぞく》請川《うけがわ》の須川甚助てふ豪家、昔八棟造りを建つるに、烟出《けむりだ》しの広さ八畳敷、これに和布《わかめ》、ヒジキ、乾魚《ひうお》などを貯え、凶歳に村民を救うた。その大厦《たいか》の天井裏で毎夜踊り廻る者あり。大工が天井張った時山茶の木の槌を忘れ遺《のこ》せしが化けたという。
 北欧の古雷神トールが巨鬼を平らぐるに用いた槌すなわち電は擲《なげう》つごとに持ち主の手に還った由で、人その形を模して守りとし、また石斧をトールの槌として辟邪《へきじゃ》の功ありとした(マレの『北方考古篇』五章。一九一一年板ブリンケンベルヒの『宗教民俗上の雷器』八六頁已下)。アフリカのヨルバ人は雷神サンゴは堅いアヤン木で棍棒を作り用ゆという(レオナードの『下ナイジャーおよびその民族』三〇三頁)。仏教の諸神大黒天、満善車王など槌を持ったが少なからず(『仏教図彙』)。定家卿の『建仁元年後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す、この所にて上下木枝を伐り、分に随って槌を作り、榊《さかき》の枝に結い付け、内ノハタノ王子に持参(ツチ分罰童子云々)し各これを結い付く。これは罪人を槌で打ち罰した神らしい。『梅津長者物語』にも大黒天が打出《うちで》の小槌で賊を打ち懲らす話がある。古エトルリアの地獄神チャルンは巨槌で亡魂どもを打ち苦しむ(デンニス著『エトルリアの都市および墓場』二巻二〇六頁)、『※[#「こざとへん+亥」、208−2]余叢考』三五に鍾馗《しょうき》は終葵《しゅうき》の訛《なま》りで、斉人|椎《つち》を
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