元来人を牲《いけにえ》にし樹神を祭ったところ、追い追い猴も人と余り異ならぬてふ見解から猴を人の身代りに牲し祭ったのだ。それと同様夫婦の間に他人の子を寝かせて子が生まれるよう祝したのが、猴も人に異ならぬはずといったところから、甚目寺等の猴像を借り用ゆる事となったと見える。余り褒《ほ》めた事でないが文化の頂上と自ら誇る米国人中にすら、初目見《はつめみ》えに来た嬰児を夫婦の寝床に臥せしむれば必ず子を産むと信ずる者あれば、無茶に尾張の風俗を笑ったものでない(一八九六年板バーゲン編『英語通用民の流行迷信』二五頁)。サウゼイの『随得手録』第二輯に、インドのヌデシャの王エースウルチュンズルは、猴を婚するに十万ルピイを費やし、盛装せる乗馬、車駕、駝象の大行列中に雄猴を維《つな》いで輿《こし》に載せ、頭に冠を戴かせ、輿側に人ありてこれを扇《あお》ぎ、炬火《きょか》晶燈見る人の眼を眩《くら》ませ、花火を掲げ、嬋娟《せんけん》たる妓女インドにありたけの音曲を尽し、舞踊、楽歌、放飲、豪食、十二日に竟《いた》り、梵士教法に従い誦経《ずきょう》して雌雄猴を婚せしめたと出づるも、王夫妻の相愛または猴にあやかって子を
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