では、以前榕実熟する時、猴これを採りに群集し、田辺附近の竜神山にも、千疋猴とて、夥しき猴の団体を見た事あるも、近年一向なし。猴ごとき本来群居するものの性質行為を研究するは、是非ともその野生群居の処にせにゃならぬに、そんな所は本邦で乏しくなった。支那にも千疋猴あった例、程伯淳、山に遊んで猴一疋も見えず、山僧より〈晏元献南に来て※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴野に満つ〉と聞き、戯れに一絶を為《つく》って曰く、〈聞説《きくならく》※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴性すこぶる霊《さと》し、相車来ればすなわち満山に迎う、騾に鞭《むちう》ちてここに到れば何ぞかつて見ん、始めて覚る毛虫《もうちゅう》にもまた世情〉。猴までも貧人を軽んずと苦笑したのだ。
 ベーカーの『アビシニアのナイル諸源流』十章にいわく、十月に入りて地全く乾けば水を覓《もと》むる狗頭猴の団体極めて夥しく河に赴き、蔭《かげ》った岸を蔽える灌木の漿果《しょうか》を食うため滞留す、彼らの挙止を観るは甚だ面白し、まず大きな牡猴がいかめしく緩歩し老若の大群随い行くに、児猴は母の背に跨《また》がり、あるいは
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