からこうして紛らかすと、〈猿声悲し、故に峡中裳を沾《ぬら》すの謡あり、これすなわち人の声の悲しきを畏る、異なるかな〉とあるが何の異な事があるものか、人間でも人の罪よりまず自分を検挙せにゃならぬような官吏が滔々《とうとう》皆これだ。猿は人に近付かぬ故その天然の性行を睹《み》た学者は少ない。したがって全然信認は如何だが、昔から永々その産地に住んだ支那人の説は研究の好《よ》き資料だ。例せば『本草啓蒙』に引いた『典籍便覧』にいわく、〈猿性静にして仁、貪食せず、かつ多寿、臂長く好くその気を引くを以てなり、その居相愛し、食相禁ず〉と節米の心掛けを自得せる故、馬鈴薯料理の試食会勧誘も無用で、〈行くに列あり、飲むに序あり、難あればすなわちその柔弱者を内にして、蔬を践《ふ》まず、山に小草木あれば、必ず環りて行き、以てその植を遂ぐ、猴はことごとくこれに反す〉。これなら桃中軒の教化も危険思想の心配も要《い》らぬ。誠に以てお猴目出たやな。
支那の本草書中最も難解たる平猴また風母、風生獣、風狸というがある。唐の陳蔵器《ちんぞうき》説に風狸|※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]州《ようしゅう》以南に生じ、
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