何を論じ掛けたか忘れました。エーとそれアノ何じゃそれからまた、十五世紀にアジア諸国を巡《めぐ》った露人ニキチンの紀行に多分交趾辺と思わるマチエンてふ地を記し、そこにも似た婦人、昼は夫と臥せど夜は外国男を買うた話が見える。これらの例を考え合すと〈野婆群雌牡なく、男子に遇うごとに、必ず負い去りて合を求む〉ちゅう支那説は虚談ならずと分る。日本で備前の三村家親へ山婆《やまんば》が美女に化けて通い、ついに斬られた話あれど負い去って強求すると聞かぬ。
『和漢三才図会』にいわく、〈『和名抄』、※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]《えん》、※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴《みこう》以て一物と為す、それ訛《あやま》り伝えて、猿字を用いて総名と為す、※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]猿同字〉と。誠にさようだがこの誤り『和名抄』に始まらず。『日本紀』既に猿田彦、猿女君《さるめのきみ》など猴と書くべきを猿また※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]と書いた。『嬉遊笑覧』に言える通り鴨はアヒルだが、カモを鳬と書かず鴨と書き、近くはタヌキから出たタナテ、
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