あに》図らんや人は猴よりもまた一層の猴智恵あり、機械仕懸けで動きの取れぬよう作った履故、猴一たび穿きて脱ぐ能わずとある。日本でも熊野人は以前黐で猴を捕えたと伝え、その次第ストラボンの説に同じ。『淵鑑類函』に阮※[#「さんずい+研のつくり」、35−4]封渓で邑人《むらびと》に聞いたは、猩々数百群を成す。里人酒と槽《ふね》を道傍《みちばた》に設け、また草を織りて下駄《げた》を作り、結び連ね置くを見て、その人の祖先の姓名を呼び、奴我を殺さんと欲すと罵って去るが、また再三相語ってちょっと試みようと飲み始めると、甘いから酔ってしまい、下駄を穿くと脱ぐ事がならずことごとく獲《と》られ、毛氈《もうせん》の染料として血を取らると載せたが、またエリアヌスの説に似て居る。猩々はもと※[#「けものへん+生」、第4水準2−80−32]々と書く。
『山海経《せんがいきょう》』に招揺の山に獣あり、その状|禺《ぐう》(尾長猿)のごとくして白耳、伏して行《ある》き人のごとく走る、その名を※[#「けものへん+生」、第4水準2−80−32]々という。人これを食えば善く走る。『礼記《らいき》』に〈猩々善く言えども禽獣を離れ
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