全く動物を人と同位と見たので、獣畜を法廷で宣言した例多い(『ルヴェー・シアンチフィク』三輯三号、ラカッサニュの「動物罪科論」)、されば本邦でも人文追々発達して、諸動植が占居蕃殖せる地面を人の物とし神の用に供するに及んでも、多くのキリスト教徒が異教の地に入りてせしごとき全滅を行わず、なるべく無害な物を保存して神木神獣とし、これを敬愛して神の使い者としたのは、無類の上出来で、奈良、宮島の猴鹿から、鳥海山の片目のカジカ魚まで、欧人に先だって博愛飛渚に及んだ邦人固有の美徳ありし証ともなれば、邦家の成立由来するところ一朝夕の事にあらざるを明らむべき不成文の史籍ともなったのだ。伊豆の三島の神は鰻を使者とし神池の辺で手を拍《う》てば無数の鰻浮き出たという。かかる事西洋になかったものか、徳川時代の欧人の書に伝聞のまましばしば書きいる。しかるに今は神池空しく涸《か》れて鰻跡を絶った由。去冬魚類専門の田中茂穂氏来訪された時、氏の話に、魚類の心理学は今に端緒すら捉え得ずと。件《くだん》の鰻ごときは実にその好材料なりしに今やすなわちなし。知らぬが仏と言うものの、かかる事は何卒為政者の気を付けられたい事だ。
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