邦でも熊野地方で古来牛を神物とし藤白王子以南は牛を放ち飼いにした。毎春猴舞わし来れば猴を神官に装い、牛舎の前で祈祷の真似せしめまた舞わせた。和深村辺では今に猴の手を牛小屋に埋めて牛疫を辟《さ》く。『記』にまたいわく、猴王作ったてふマントラ・シャストラ(神呪論)を講ずれば力強くて神のごとくなるという。ハヌマン像に戦士と侍者の二態あり。前者はこの神を本尊と斎《いつ》く祠に限り、後者は羅摩またはその本身|韋紐《ヴィシュニュ》を本尊として脇立《わきだち》とす(第六図は余が写実し置いた脇立像なり)。多力神なる故に力士の腕にその像を佩《お》びまた競技場に祀る。その十一体の風天の化身なる故に十一の数を好む。子欲しき者は丹でその像を壁に画き、檀香とルイ花を捧《ささ》げて日々祀る。また麦粉で作った皿にギー(澄酪)を盛り、燈明を上《たてまつ》ると。
 明治二十六年予、故サー・ウォラストン・フランクス(『大英百科全書』十一版十一巻に伝あり)を助けて大英博物館の仏像整理中、本邦祀るところの庚申青面金剛像《こうしんせいめんこんごうぞう》に必ず三猿を副《そ》える由話すと、氏はそれはヒンズー教のハヌマン崇拝の転入だ
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