て大なるは※[#「けものへん+矍」、32−16]《かく》なり。大にして尾長く赤目なるは禺《ぐう》なり。小にして尾長く仰鼻なるは※[#「けものへん+鴪のへん」、32−16]《ゆう》なり。※[#「けものへん+鴪のへん」、32−16]に似て大なるは果然《かぜん》なり。※[#「けものへん+鴪のへん」、33−1]に似て小なるは蒙頌《もうしょう》なり。※[#「けものへん+鴪のへん」、33−1]に似て善く躍越するは※[#「けものへん+斬」、33−1]※[#「鼬」の「由」に代えて「胡」、33−1]《ざんこ》なり。猴に似て長臂《ちょうひ》なるは※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]《えん》なり。※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に似て金尾なるは※[#「けものへん+(戎−ノ)」、33−2]《じゅう》なり。※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に似て大きく、能く※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]猴を食うは独《どく》なり〉。支那の動物は今に十分調ばっていぬから一々推し当つるは徒労だが、小にして尾短きは猴なりといえば、猴は全く日本のと同種ならずも斉《ひと》しくマカクス属たるは疑いなし。それも日本と異なり一種に止《とど》まらず、北支那冬寒厳しき地に住むマカクス・チリエンシス(直隷猴)は特に厚き冬毛を具し、マカクス・シニクス(支那猴)は頭のつむじから長髪を放ち垂《た》る。由って英人は頭巾猴《ずきんざる》と呼ぶとはいわゆる楚人|沐猴《もっこう》にして冠すの好《よ》き対《つい》だ。猴の記載は李時珍のがその東洋博物学説の標準とされたから引かんに曰く、班固《はんこ》の『白虎通《びゃっこつう》』にいわく猴は候《こう》なり、人の食を設け機を伏するを見れば高きに憑《よ》って四望す、候《うかがう》に善きものなり、猴好んで面を拭《ぬぐ》うて沐《もく》するごとき故に沐猴という。後人|母猴《もこう》と訛《なま》りまたいよいよ訛って※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴《みこう》とす。猴の形、胡人《こひと》に似たる故|胡孫《こそん》という。『荘子』に狙《そ》という。馬を養《か》う者厩中にこれを畜《か》えば能《よ》く馬病を避く、故に胡俗《こぞく》猴を馬留《ばりゅう》と称す、状《かたち》人に似、眼愁胡のごとくにして、頬陥り、※[#「口+慊のつくり」、33
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