夜分尾で面を掩《おお》うて臥すというから、何か栗鼠《りす》属のもので真の果然でない。果然は一名|※[#「虫+隹」、31−7]《い》また仙猴《せんこう》、その鼻孔天に向う、雨ふる時は長い尾で鼻孔を塞《ふさ》ぐ、群行するに、老者は前に、少者《わかもの》は後にす。食、相譲り、居、相愛し、人その一を捕うれば群啼《ぐんてい》して相《あい》赴《おもむ》きこれを殺すも去らず。これを来すこと必《ひっ》すべき故、果然と名づくと『本草綱目』に見え、『唐国史補』には楽羊《がくよう》や史牟《しぼう》が立身のために子甥《しせい》を殺したは、人状獣心、この猴が友のために命を惜しまぬは、獣状人心だと讃美しある。されば帝舜が天子の衣裳に十二章を備えた時、第五章としてこの猴と虎を繍《ぬいとり》したのを、わが邦にも大嘗会《だいじょうえ》等|大祀《たいし》の礼服に用いられた由『和漢三才図会』等に見ゆ。二十年ほど前、予帰朝の直前|仰鼻猴《ぎょうびざる》という物の標品がただ一つ支那から大英博物館に届きしを見て、すなわちその『爾雅《じが》』にいわゆる※[#「虫+隹」、31−15]たるを考証し、一文を出した始末は大正四年御即位の節『日本及日本人』六六九号へ録した。かくて津軽に果然の自生は誤聞として、台湾には猴の異種が少なくとも一あり、内地産の猴は学名マカクス・スベシオススの一種に限る。
[#「第2図 支那四川産橙色仰鼻猴」のキャプション付きの図(fig2539_02.png)入る]
猴はなかなか多種だが熱帯と亜熱帯地本位のもの故、欧州にはただ※[#「くさかんむり/最」、第4水準2−86−82]爾《さいじ》たるジブラルタルにアフリカに多いマカクス・イヌウスとて日本猴に酷似しながら全く尾のない猴が住んでいたが、十年ほど前流行病で全滅した。そんなこと故欧州の古文学や、里譚《りだん》、俗説に猴の話がめっきり見えぬは、あたかも日本の書物、口碑に羊を欠如するに同じく、グベルナチス伯が言った通り、形色、性行のやや似たるよりアジアで猴の出る役目を欧州の物語ではたいてい熊が勤め居る(グ氏『動物譚原』二巻十一章)、支那に猴を出す多種なれば、古来これに注意も深く、それぞれ別に名を附けたは感心すべし。
李時珍曰く〈その類数種あり、小にして尾短きは猴《こう》なり、猴に似て髯多きは※[#「據−てへん」、32−15]《きょ》なり、猴に似
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