−12]《けん》、すなわち、食を蔵《かく》す処あり、腹に脾《ひ》なく、行《ある》くを以て食を消す、尻に毛なくして尾短し、手足人のごとくにて能く竪《た》って行く、その声|※[#「口+鬲」、第4水準2−4−23]々《かくかく》(日本のキャッキャッ)として咳《せき》するごとし。孕《はら》む事五月にして子を生んで多く澗《たに》に浴す。その性騒動にして物を害す、これを畜う者、杙上に坐せしめ、鞭《むちう》つ事旬月なればすなわち馴《な》ると。
 時珍より約千五百年前に成ったローマの老プリニウスの『博物志』は、法螺《ほら》も多いが古欧州|斯学《しがく》の様子を察するに至重の大著述だ。ローマには猴を産しないが、当時かの帝国極盛で猴も多く輸入されたから、その記載は丸の法螺でないが曰く、猴は最も人に似た動物で種類一ならず、尾の異同でこれを別つ、猴の黠智《かっち》驚くべし、ある説に猟人|黐《もち》と履《くつ》を備うるに猴その人の真似して黐を身に塗り履を穿《は》きて捕わると、ムキアヌスは猴よく蝋製の駒《こま》を識別し習うて象戯《しょうぎ》をさすといった。またいわく尾ある猴は月減ずる時甚だ欝悒《うつゆう》し新月を望んで喜び躍りこれを拝むと、他の諸獣も日月|蝕《しょく》を懼《おそ》るるを見るとさような事もありなん。猴の諸種いずれも太《いた》く子を愛す、人に飼われた猴、子を生めば持ち廻って来客に示し、その人その子を愛撫するを見て大悦びし、あたかも人の親切を解するごとし。さればしばしば子を抱き過ぎて窒息せしむるに至る。
 狗頭猴《くとうざる》は異常に獰猛《ねいもう》だ。カリトリケ(細毛猴)はまるで他の猴と異なり顔に鬚《ひげ》あり。エチオピアに産し、その他の気候に適住し得ずというと。博覧無双の名あったプリニウスの猴の記載はこれに止まり、李氏のやや詳《くわ》しきに劣れるは、どうしてもローマに自生なく中国に多種の猴を産したからだ。
 右に見えた黐と履で猴を捕うる話はストラボンの『印度誌』に出で、曰く、猟人、猴が木の上より見得る処で皿の水で眼を洗い、たちまち黐を盛った皿と替えて置き、退いて番すると、猴下り来って黐で眼を擦《す》り、盲同然となりて捕わると、エリアヌスの『動物誌』には、猟人猴に履はいて見せ、代わりに鉛の履を置くと、俺《おれ》もやって見ようかな、コラドッコイショと上機嫌で来って、その履を穿く。豈《
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