ものへん+爰」、第3水準1−87−78]は手の長い猴《さる》で、※[#「けものへん+鴪のへん」、116−1]は神楽鼻《かぐらばな》で鼻穴が上に向いた尾長猴じゃ。前年予田辺の一旅館で山の神がオコゼ魚に惚れ、獺《かわうそ》を媒《なかだち》として文通するを、かねてかの魚を慕いいた蛸入道《たこにゅうどう》安からず思い、烏賊《いか》や鰕《えび》を率いて襲い奪わんとし、オコゼ怖れて山奥に逃げ行き山の神に具して妻となる物語絵を見出し、『東京人類学雑誌』二九九号に載せ、また絵師に摸させ自分|詞書《ことばがき》を写して米賓スウィングル氏に贈りしに、ス氏木村仙秀氏に表具してもらい、巻物となし今も珍蔵する由。それには山神を狼面に画きあった。今も狼を山神として専ら狩猟を司るとする処が熊野にある。ところが同じ熊野でも安堵峰辺で自ら聞いたは、山神女形で、山祭りの日一山に生えた樹木を算うるになるべく木の多きよう一品ごとに異名を重ね唱え「赤木にサルタに猴滑り」(いずれもヒメシャラ)「抹香《まっこう》、コウノキ、コウサカキ」(皆シキミの事)など読む。樵夫当日その内に読み込まるるを怕れて山に入らず、また甚だ男子が樹陰に自涜《じとく》するを好むと。佐々木繁君説に、山神、海神と各その持ち物の多きに誇る時、山神たちまち(オウチ?)にセンダン、ヤマンガと数え、相手のひるむを見て得意中、海神突然オクゼと呼びたるにより山神負けたとあるを見て、この話の海内《かいだい》に広く行き渡れるを知った。十分判らぬがオクゼは置くぞえで、海神いざこれから自分の持ち物を算盤に置くぞえと言いしを、山神オコゼ魚が自分の本名を知られたと合点して、敗亡したらしい。諸国に神も人も自分の本名を秘した例多い(『郷土研究』一巻七号)。いわゆる山祭りは陰暦十一月初めの申の日行う。けだしこの山神は専ら森林を司り、その祭日には自分の顔色と名に因んで、赤木に猿たに猿滑りと、一種の木を三様に懸値《かけね》して国勢調査すと伝えたのだ。
 牡猴が一たび自涜を知れば不断これを行い衰死に及ぶは多く人の知るところで、一八八六年板ドシャンプルの『医学百科辞彙』二編十四巻にも、犬や熊もすれど、猴殊に自涜する例多しと記し、医書にしばしば動物園の猴類の部を童男女に観するを戒めある。予壮時諸方のサーカスに随い行きし時、黒人などがほめき盛りの牝牡猴に種々|猥《みだ》りな事をして
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