ん」と諸神が平家を笑うだろう。これを以てこれを見るに、当身のその本人が十年前に狂と見た熊楠の叡智に今は驚き居るに相違ない。魏徴《ぎちょう》、太宗に言いしは、われをして良臣たらしめよ、忠臣たらしむるなかれと。この上仰ぎ願わくば為政者、よっぽど細心してまた熊楠をして先見の明に誇らしむるなからん事を。マアざっとこんな世間だから、段成式が人に九影ありと聞いて感心して『雑俎』に書き留めたのも、諸方の民が人に数魂ありと信ずるのもむやみに笑う訳に行かず。これを笑うたのを他日に及んで笑わるるかも知れぬという訳は、変態心理学の書にしばしば見る二重人格また多数人格という例少なからず。甚だしきは一人の脳に別人ごとく反対した人格を具し、甲格と乙格と相嫌い悪《にく》む事|寇讎《こうしゅう》のごときもある。されば猿田彦が死に様に現じた動作の相異なるより察して、その時々の心念を平生の魂と別に、それぞれ名を立て神と視《み》た『古事記』の記述も、アルタイ人が人ごとに数魂ありて各特有の性質、働き、存限ありと信ずるも理に合えりともいうべし。それと等しく一つの神仏菩薩に数の性能を具するよりその性能を別ちて更に個々の神仏等を立てた事多きは、ギリシャ、ローマの神誌や仏経を読む者の熟知するところで、同じ猴ながら見立てように随って種々の猴神が建立された。猿田彦がインドの青面金剛、支那の三尸と結合されて半神半仏の庚申と崇められた概略は出口氏の『日本生殖器崇拝略説』に出で、この稿にも次第したればこの上詳説せずとして、衢《ちまた》や、旅行や、盗難を司る庚申のほかに、田畑、作物を司る猴神ある事前述のごとく、そのほかまた猴を山の神とせるあり。
玄奘三蔵の『大唐西域記』十に、駄那羯礫迦国の城の東西に東山西山てふ伽藍あり。この国の先王がいかめしく立てたので霊神警衛し聖賢遊息した。仏滅より千年のうち毎歳千の凡夫僧ありてこの寺に籠《こも》り、終りて皆羅漢果を証し、神通力もて空を凌《しの》いで去った。千年の後は凡聖同居す。百余年この方《かた》は坊主一疋もいなくなり、山神形を易《か》えあるいは豺狼《さいろう》あるいは※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]※[#「けものへん+鴪のへん」、115−15]《えんゆう》となりて行人を驚恐せしむ、故を以て、空荒《くうこう》闃《げき》として僧衆なしとある。既にいったごとく、※[#「け
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