を込みいた確証なしとの一点より無罪と宣告された。ところがこの博士拘引後絶食十三日で死んでしまったは、昨今評判のコルクの市長の足元へも寄れませぬ。ロバート・チャンバースいわく、この事件を新聞紙月並みの法廷傍聴録として看過しがたきは、当時エリオットが懐《いだ》いた理想こそ実に現今(一八六四年)第一流の星学諸家が主張する所なれ、さればこれに拠って吾人は世にあまねく知られざる一事を知る。すなわち当世の狂が後代の智となる事もあれば、只今賢いと思わるる多くが、百年立てば阿呆の部に入れらるる事も多かろうと。これ誠に至言で、チャンバースが現今第一流の星学諸家が主張する所とは誰々なるを詳らかにせぬが、最近、日の上に濃くあまねく行き渡った光気より日光を発し、太陽面の住民に十分光を与えながら迷惑は掛けぬなど信ずる学者もないようだから、わずかに六十年足らぬ間に当時の碩学が今日の阿呆と見えるようになったのだ。まだそれよりも著しいは前年、現時為政者たる人が浅薄な理想を実現せんとて神社|合祀《ごうし》を励行し、只今も在職する有象無象大小の地方官公吏が斜二無二迎合して姦をなし、国家の精髄たる歴史をも民情をも構わず、神社旧跡を滅却し神林を濫伐して売り飛ばせてテラを取り、甚だしきは往古至尊上法皇が奉幣し、国司地方官が敬礼した諸社を破壊し神殿を路傍に棄て晒《さら》した。熊楠諸国を遍歴して深く一|塵《じん》一|屑《せつ》をも破壊するてふ事の甚だ一国一個人の気質品性を損するを知り、昼夜奔走苦労してその筋へ進言し、議会でも弁じもらい、ついに囹圄《れいご》に執《とら》わるるに至って悔いず。しかるにその言少しも用いられず。不祥至極の事件の関係者が合祀励行の最も甚だしかった地方から出た。神社合祀が容易ならぬ成り行きを来すべきは当時熊楠が繰り返し予言したところなるに、その讖《しん》ついに成りしはわれも人もことごとく悲しむべきである。鄭《てい》に賢人ありて鄭国滅びたるは賢人の言を聞きながら少しも用いなんだからと、室鳩巣《むろきゅうそう》が言ったも思い当る。それにサアどうだ。有司が前陣に立って勧めた薬が利《き》き廻って今日ドサクサするに及び、ヤレ汽車賃を割引するから参宮に出掛けよとか、ソラ国費を以て某々の社を廓大しようとか大騒ぎに及ぶは既に手後れの至りで、汝の罪汝に報う「世の中の、うさには神もなき物を、心のどけく何祈るら
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