ま取り上げて打つと羊毛に燃え付いた。そのまま羊が象|厩《べや》に身を摺《す》り付くると、いよいよ火事となりて象も猴も焼け死んだとある。象厩に猴を畜《か》えば象を息災にすとシャムでも信ずる由、クローフォールドの『暹羅《シャム》使記』に見ゆ。
『説苑』七に楊朱《ようしゅ》が梁王に見《まみ》えて、天下を治むる事|諸《これ》を掌《たなごころ》に運《めぐ》らすごとくすべしという。梁王曰く、先生、一妻一妾ありて治むる能わず、三畝の園すら芸《くさき》る能わざるに、さように容易《たやす》く天下を治め得んやと。楊朱曰く、君かの羊を見ずや、百羊にして群るれば五尺の童子一人杖を荷《にの》うてこれを東西思いのままに追い得るがごとし、堯をして一羊を牽《ひ》き舜をして杖を荷うてこれを追わしめば、なかなか思いのままにならぬ、すなわち乱の始めだ。大を治めんとする者は小を治めず、大功を成す者は小苛《しょうか》せずと。
末吉安恭氏来示に、琉球人は山羊を温柔な獣とせず、執拗|剛戻《ごうれい》な物とす。縄にて牽き行く時その歩を止めて行かぬ事あり、その時縄を後に牽かば前に出づるも前に牽かば退くのみなり、故に山羊は天《あま》の
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