綿羊宮《アリエス》を古く白羊宮と漢訳しあるので白羊とは綿羊と判る。
西アフリカのアシャンチー人伝うるは、昔上帝|人間《にんかん》に住み面《まのあた》り談《はな》したから人々幸福だった。例せば小児が薯蕷《やまいも》を焼くとき共に食うべき肴《さかな》を望まば、上帝われに魚を与えよと唱えて棒を空中に抛《ほう》ればたちまち魚を下さった。しかるに世間はかく安楽でいつまでも続かず、一日婦女どもが食物を摺《す》り調える処へ上帝来り立ち留まって観《み》るを五月蠅《うるさ》がり、あっちへ行けといえど去らず、婦女ども怒って擂木《すりこぎ》で上帝を打ったから、上帝倉皇天に登り復《また》と地上へ降《くだ》らず、世は永く精物《フィチシュ》に司配さる。因って今も人々戻らぬ昔を追懐して、あの時婆どもが上帝を打たなんだらどんなにわれわれは幸福だろうと嘆息する。ただし上帝は随分人思いの親切者で天に引き上げた後《のち》山羊を降して告げしめたは、これから死というもの来て汝らを取り殺すが汝ら全く亡くなるでなく天に来りてわれとともに住むのだと。山羊この報を持って町へ来る途上|好《よ》き草を見て食いに掛かる。上帝これを見て綿羊
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