に働く、もし主人過分に贏《もう》けて訟《うった》えらるれば死刑に逢う。最も有勢の貴人も旅中宿屋に彼を招き価を定めて女優を召し酌をさせ、またこれを御するを恥じず。妓輩の主人生時は貴人と伍《ご》を成すが、一旦命|終《しゅう》すれば最卑民中にすら住《とど》まるを許されず、口に藁作りの※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《たづな》を食《は》ませ、死んだ時のままの衣服で町中引きずり、野中の掃溜《はきだめ》へ捨て鶏犬の啄《つつ》き※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《くら》うに任すと書いた、眼前の見聞を留めたもの故事実と見える。妓家の主人をクツワと呼ぶはこんなところから起ったでもあろう。

     種類

 前項の一部の補正をする。その末段に藤原広嗣の駿馬が無名だったよう記した。しかるにその後、『異制庭訓往来』和漢の名馬を列《つら》ねた中に、本朝|厩戸王子《うまやどのおうじ》甲斐黒駒、太宰大弐《だざいのだいに》弘継《ひろつぐ》土竜とあるを見出した。これが本拠ある事なら、広嗣の土竜がまず本朝で産地や毛色に由らぬ馬の名の最も早く見えたものであろう。それからまた、紀州に鉄砂あるを、
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