その馬の糞を売り、太子チッスの諫《いさ》めに逢って馬糞売って得た金は悪《あ》しく臭うか嗅《か》いで見よと言った。かく畜《けだもの》の糞から高値な鮓答を得もすれば、糞それ自身が随分金と替えられ得たから、それを大層に訛称《かしょう》して金を糞に出す驢牛等の譚も出来たのだ。アストレイの『西蔵《チベット》記』に、大|喇嘛《ラマ》の糞尿を信徒に世話しやりて多く利を得る喇嘛僧の事を載す、蒙古人その糞の粉を小袋に入れ頸に掛け、その尿《いばり》を食物に滴《おと》して用うれば万病を除くと信じ、天主僧ジャービョン西|韃靼《だったん》に使した時、大喇嘛の使者かようの粉一袋を清帝に献ぜんと申し出て拒まれた由。これらは無上に高値な糞であろう。わが邦でも古く陣中に馬糞を薪《たきぎ》にし、また馬糞汁もて手負いを療じた(『雑兵《ぞうひょう》物語』下)。したがって馬糞を金ほど重んじた場合もあったものか。羽黒山の社の前後に賽銭《さいせん》砂礫《されき》のごとく充満し、参詣人の草履《ぞうり》に著《つ》く故、下山に先だちことごとく払い落す。強慾な輩、そのまま家へ持ち帰れば皆馬糞に化《な》るという(『東洋口碑大全』七六二頁)。
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