ついでに申し置くは壮時随分諸邦を歩いた時の事と思《おぼ》し召せ。ある邦の元首大漸の公報に、その詳細を極めんとの用意が過ぎて、下気出る時の様子までも載せあった。昔は帝堯が己に譲位すべしと聞いて潁川《えいせん》に耳を洗うた変物あり、近くは屁を聞いて海に入り、屁を聞かせじと砂に賺《すか》し込む頑民あり、さまでになくとも高貴の方の下気など誰一人あるべき事と期待もせねば、聴きたがりもせず。それを公報に載せて職に尽くせしと誇るは、羊を攘《ぬす》んだ父を訴えた直躬者《ちょっきゅうしゃ》同然だ。かかる無用の事を聞かせて異種殊俗の民に侮慢の念を生ぜしめ、鼎《かなえ》の軽重を問わるるの緒を啓《ひら》いた例少なからず。かく言うものの、賺《すか》し屁の放《ひ》り元同然日本における屁の故事を詳《つまび》らかにせねど、天正十三年千葉新介が小姓に弑せられたは屁を咎めしに由り、風来《ふうらい》の書いた物に遊女が放屁を恥じて自殺せんとするを、通人ども堅く口外せぬと誓書を与えて止めたと見れば、大昔から日本人は古ローマ人のごとく屁を寛仮せず、海に入り砂に埋むるまでなくとも、むしろアラビヤ人流に厳しく忌んだらしい。これすなわ
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