字書どもには甘麪麭は牝牛の膵《すい》等の諸腺と出づれど、陰部と見えず。ところが帰朝のみぎり同乗した金田和三郎氏(海軍技師)も陰部と聞いたと話されたから、あるいは俗語郷語に陰部をもかく呼ぶのかと思えど、この田舎ではとても分らず、牛驢の陰具を明の宮中で賞翫《しょうがん》した話ついでに録して、西洋通諸君の高教を俟《ま》つ。
『周礼』に庖人《ほうじん》六畜を掌り、馬その第一に位し、それから牛羊豕犬鶏てふ順次で、そのいわゆる五穀は麻を[#「麻を」は底本では「麻をを」]首《はじめ》とし、黍《もちきび》と稷《うるきび》それから麦と豆で、これに※[#「禾+朮」、第3水準1−89−42]《もちあわ》と稲と小麦小豆を加えて九穀という。今日の支那では馬肉や麻子《おのみ》をさほど珍重せぬ。秦の穆公の馬を野人取り食いしも公怒らず、駿馬肉を食って酒を飲まずば体を敗ると聞くとて一同に飲ませやった。翌年韓原の戦に負け掛かった時、去年馬を食い酒を貰《もろ》うた者三百余人来援し大いに克《か》ちて晋の恵公を擒《とりこ》にした。また晋の趙簡子両白騾ありて甚だ愛せしに、ある人重患で白騾の肝を食わずば死ぬと医が言うと聞き、その騾
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