まずその従兄の有無を尋ね許諾を受けにゃならぬ。かつて『風俗画報』で、泉州に二十余年前まで差当りと称え、年頃の娘に良縁なき時、差当りこれをその叔父に嫁して平気な所ありと読んだが、すなわち系統を重んずるの余習で、国史を繙《ひもと》く者は少なくとも鎌倉時代の末まで邦人殊に貴族間に同姓婚行われたと知る。支那は同姓不婚で名高い国だが、『左伝』『史記』などに貴族の兄弟姉妹と通じ事を起した例が少なからぬ。これも上世同姓婚を尚《たっと》んだ遺風であろう。アリヤヌスの『印度記《インジカ》』に、ヘラクレス老いて一女あったが相当な婿なし、王統の絶ゆるを虞《おそ》れ自らその娘を妻《めと》ったとある。フレザーの『アドニス・アッチス・オシリス』二版三九頁に、古ギリシアの王自分の娘を妻とした例多く挙げて基づくところの事実なしにかかる話は生ぜじ、またことごとく邪淫の念のみに起ったと想われぬ、そもそも王家母系のみを重んずる諸国にありては、王の后が真の王権を具し、王は単にその夫たるだけの訳で崇《あが》めらるるに過ぎず、したがって王冠が垢《あか》の他人の手に移らぬよう王はなるべくその姉妹を后とした。例せばエジプトの美女王ク
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