ろと言い触らしたが、衆これを魔の使と罵り焼き殺さんとしたところ、早速の頓智《とんち》で馬に群衆中より帽に十字を帯びた一人を選んで低頭|跪拝《きはい》せしめ、魔使ならこんな真似をせぬはずと説いて免れたという、その前後馬が芸をして魔物と疑われ火刑を受けた例少なからぬ。騎馬で愛宕の石段登るを日本で褒《ほ》むるが、外国には豪い奴もあって、一六八〇年一人白馬に騎り、ヴェニースの埠頭から聖《サン》マルコ塔の頂まで引っ張った六百フィート長い綱を走り登る。半途で駐《とま》って右手に持った鎗を下げ左手で旗を三度振って宮廷を礼し、また走り登って鐘塔に入り徒歩で出で最高の絶頂に上り、金の天使像に坐って旗を振る事数回、鐘塔に還って騎馬し復《ふたた》び綱を走り降った(ホーンの『机上書《テーブルブック》』五四〇頁)。プリニウスはシバリス城の軍馬|毎《いつ》も音楽に伴れて踊ったといい、唐の玄宗は舞馬四百を左右に分ち※[#「糸+肅」、第3水準1−90−22]衣玉飾して美少年輩の奏楽に応じて演芸させた由。その他馬が楽を好んで舞いまた香を愛する事しばしば見ゆ(バートンかつてアラブ馬が女人に接したまま身を清めぬ主人を拒んで
前へ 次へ
全212ページ中127ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング