百年間人手を離れて家馬の種が純乎たる野馬となったのだが、それすらガウチョス人上述の法を以て能く擾しおわる。インド等で野象を馴らすも似いるがそれは徐々|出来《でか》すのだから馬擾しほどに眼を驚かさぬ。また奇な事は馬一たび駭《おどろ》けば諸他の心性まるで喪われたちまち狂奔して石壁に打付《ぶつ》かるを辞せず、他の獣も慌て過ぎて失心自暴する例あれど馬ほど劇しいものなし。しかし真面目な時の馬は確かに情款濃く、撫愛されて悦び他馬の寵遇を嫉み同類遊戯するを好み勇んで狩場に働く。虚栄の念また盛んで馬具で美麗を誇る、故にスペインで不従順な馬を懲らすに荘厳なる頭飾と鈴を取り上げ他の馬に徙《うつ》し付けると。支那で馬に因《ちな》んで驚駭《きょうがい》と書き『大毘盧遮那加持経《だいびるしゃなかじきょう》』に馬心は一切処に驚怖思念すとあるなど驚き他獣の比にあらざるに由る。
 馬の記憶勝れたる事、アビシニアの馬途中で騎手と離るると必ず昨夜|駐《とま》った処へ還るとベーカーの『ゼ・ナイル・トリビュタリース・オヴ・アビシニア』に見えるが、支那でも斉の桓公孤竹国を伐《う》ち春往き冬|反《かえ》るとて道を失うた時管仲老馬
前へ 次へ
全212ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング