を標すために女根に象ったであろう。すべて生物学上から見ても心理学上から見ても生殖の業およびこれに偕《ともな》う感触がすこぶる死に近い。伊藤仁斎は死は生の極と説いたと聞くが、それより後に出た『相島《あいしま》流神相秘鑑』てふ人相学の書に交接は死の先駈《さきがけ》人間気力これより衰え始む、故にその時悲歎の相貌を呈すというように説きあったは幾分の理あり。『日本紀』一に伊弉冊尊《いざなみのみこと》火神を生む時|灼《や》かれて崩《みまか》りましぬ、紀伊国熊野の有馬村に葬る。『古事記』には火之迦具土神《ひのかぐつちのかみ》を生ますに御陰《みほと》炙《や》かれて崩りましぬ。尊を葬ったてふ花の窟または般若の窟土俗オ○コ岩と称う。高さ二十七間てふ巌《いわ》に陰相の窟を具う。先年その辺の人々『古事記』にこの尊を出雲|伯耆《ほうき》の堺|比婆之山《ひばのやま》に葬ったとあるは誤りで、論より証拠炙かれた局部が化石して現存すれば誰が何と言っても有馬村のが真の御陵だ、その筋へ運動して官幣大社にして見せるといきり切っていたがどうなったか知らぬが、この古伝に由ってわが上古また女陰と死の間に密接せる関係ありてふ想像が行
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