だなど伝うると等しく多少拠る所があったものか。
 ついでに伝説へ書き遺した二、三項を述べよう。馬で海を渡した例は源|頼信《よりのぶ》佐々木|盛綱《もりつな》明智光春(これは湖水)など日本で高名だが支那にもあるかしらん。欧州では古英国のサー・ベヴィス・オヴ・ハムプタウンがダマスクスの土牢を破り逃ぐる時追い懸くるサラセン軍の猛将グラウンデールを殺し、その乗馬トランシュフィスを奪い、騎って海を渡り一の城に至り食を求むると城将与えず、大立廻りをするうち件《くだん》の名馬城将に殺されベヴィスまた城将を殺し、その妻が持ち出す膳をその妻に毒味せしめて後|鱈腹《たらふく》吃《く》うて去ったという。十二世紀にスペインのユダヤ人アルフォンススが書いた『教訓編』に騾が驢を父とするを恥じ隠し外祖父《ははかたのちち》が壮馬たるに誇ると載す。昨今日本に多い不義にして富みかつ貴き輩の子が父の事を語るを慙《は》ずるのあまり、その母は大名の落胤公家の余※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]《よげつ》だったなど系図に誇るも似た事だ。しかしそんな者の母は多くは泥水|稼《かせ》ぎを経た女故、騾の母たる牝馬が絶えて売笑した
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