題に作った初唄|唱《うた》う芸妓や、春駒を舞わせて来る物貰《ものもら》い同然、全国新聞雑誌の新年号が馬の話で読者を飽かすはず故、あり触れた和漢の故事を述べてまたその話かと言わるるを虞《おそ》れ、唐訳の律蔵より尤《いと》も目出たい智馬《ちば》の譚を約説して祝辞に代え、それから意馬《いば》の奔《はし》るに任せ、意《おも》い付き次第に雑言するとしよう。智馬の譚は現存パーリ文の『仏本生譚《ジャータカ》』にも見えるが、唐訳律中のほど面白からぬようだ。
『根本説一切有部毘奈耶』にいわく、昔北方の販馬商客《うまうり》五百馬を駆って中天竺へ往く途上、一の牝馬が智馬の種を姙《はら》んだ。その日より他馬皆鳴かぬから病み付いた事と思いおった。さていよいよ駒を生んでより馬ども耳を垂れて嚏《くさめ》噫《おくび》にも声せず、商主かの牝馬飛んだものを生んでわが群馬を煩わすと悪《にく》む事大方ならず、毎《いつ》もこれに乗り好《よ》き食物を与えず。南に行きて中国境の一村に至ると夏雨の時節となった。雨を冒して旅すれば馬を害すればとて、その間滞留する内、村の人々各の手作りの奇物を彼に贈ったので、雨候過ぎて出立しようという時
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