、宝とすべき物にはあらずと出《い》づ。『物異志』曰く、〈漢の文の時、呉に馬あり角を生ず、右角三寸左角二寸〉。これらを対照して、馬の角はややもすれば左右不等長だと知る。今も稀にあると見えて、数年前ドイツ辺に、馬角を生じた記事を、『ネーチュール』で読んだがその詳細を知らぬ。英語でホールンド・ホールス(角馬)と呼ぶは、またニュウともいい、羚羊の一属で二種あり、南阿と東阿に産したが、一種は多分|既《はや》絶えたであろう。牛と馬と羚羊を混じた姿で、尾と※[#「髟/宗」、第4水準2−93−22]《たてがみ》は殊に馬に近い。手負《てお》うた角馬に近づくはすこぶる危険な由、一九一四年版パッターソンの『ゼ・マン・イータース・オヴ・ツァヴォ』に述べある。
それから古ローマのネロ帝は荒淫傑出だったが、かつて揃《そろ》いも揃って半男女《ふたなり》の馬ばかり選《え》り集めてその車を牽かしめ、異観に誇った(プリニウスの『博物志《ヒストリア・ナチュラリス》』十一巻百九章)。以前ローマ人は、半男女を不祥とし、生まれ次第海に投げ込んだが、後西暦一世紀には、半男女を、尤物《ゆうぶつ》の頂上として求め愛した。男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男女神《ヘルマフロジツス》の像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利人の研究《ルシェルシュ・フィロソフィク・シュル・レサメリカン》』一〇二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価で購《あがな》われたは、美女でも※[#「女+交」、第4水準2−5−49]童《わかしゅ》でもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する。ネロ帝はその生母を愛して後これを弑《しい》し、臣下の妻を奪って后としたが、その后死んで追懐やまず、美少年スポルス亡后に似たればとて、これを宮し女装せしめて后と立て、民衆の眼前に、これと抱擁|親嘴《しんし》して羨《うらや》ませ楽しんだというほどの変り物で、その后が取りも直さず半男女同然故、それ相応に半男女の馬に車を牽かせたものか。天野信景《あまのさだかげ》の『塩尻』巻五三に、人男女の二根を具するあり、獣もかかる物ありやという人|侍《はべ》る、予が采地愛知郡本地村民の家に、二根ある馬ありて、時々物を駄して来る、見るに尤《いと》うるさく覚え侍るといえるは、その見ネロに勝る事遠しだ。
プリニウスいわく、サルマタエ人、長旅せんと思わば、出立前一日その馬に断食せしめまた水を少なく飲ます、しかすると一日に百五十マイル走り続け得と。滝川一益北条勢と戦い負けた時炎天ゆえ馬渇せしに、河水を飲ませて乗りしに走り僵《たお》れ、飲ませなんだ馬は命を全うしたというに似ている。して見ると我輩も飲まぬ方がよいかしらん。『神異経』に、〈大宛《だいえん》宛丘の良馬日に千里を行き、日中に至りて血を汗す〉とはいかがわしいが、チュクチー人など、シャーマーン(方士)となる修業至ってむつかしく、時として苦しみの余り、衄《はなぢ》や血の汗を出すという(チャプリカの『西伯利原住人《アボリジナル・サイベリア》』一七九―一八〇頁)。あるいはいわく、衄を塗りて血汗に擬するのだと。『本草綱目』に、馬|杜衡《かんあおい》を食えば善く走り、稲を食えば足重し、鼠糞食えば腹脹る、※[#「歹+僵のつくり」、第3水準1−86−40]蚕《きょうさん》と烏梅《うばい》で牙を拭《ぬぐ》わば食わず、桑葉を得ば解す、鼠狼《いたち》の皮を槽に置かば食わず、豬槽《ぶたぶね》を以て馬を飼い、石灰で馬槽を泥《ぬ》れば堕胎す、猴を厩に繋げば、馬の疲れを避くとある。しかるにトルコでは、家豬《ぶた》の汚い臭いが馬を健にすという由(一五八一年版ブスベキウスの『土耳其《トルコ》行記』)。
馬の食物にも、種々流儀の異なったのがある。タヴェルニエーの『印度紀行』に、ウンチミッタ辺で毎朝蝋のごとき粗製の黒砂糖と麦粉と牛酪《バター》を練り合せて泥丸となし、馬に嚥《の》ましめ、その後口を洗い歯を潔《きよ》めやると見え、サウシの『随得手録《コンモンプレース・ブック》』二には、麪麭《パン》で馬を飼った数例を挙ぐ。『馬鳴《めみょう》菩薩伝』にいわく、昔北天竺の小月氏国王、中天竺を伐ちて三億金を求む。中天王わが国に一億金すらなしというと、小月氏王いわく、汝が国内に、仏が持った鉢と、弁才|勝《すぐ》れた比丘とあり、この二大宝を二億金の代りに我に寄《よこ》せと、中天王惜しんで与えそうもなきを見、かの比丘説法して、世教は多難なる故、王は一国のみを化す、これに引き替え、仏道は四海に弘通《ぐずう》すべく、我は四海の法王たるべき身分だから何処《どこ》へ往ったからって親疎の別を存せずというを聴いて王感服し、鉢と比丘を渡ししもうた。それを伴れて使が小月氏国へ還ると、国の諸臣議すらく、仏鉢は直《まこと》に
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