とある(一八八二年版『言語学講義《サイエンス・オブ・ランゲージ》』巻二)。ミュラーは独人で英国に帰化し、英人の勝《すぐ》れた分子は皆独人と血を分けた者に限り、英独人が世界でいっち豪《えら》いように説き、またしきりに古インドの文明を称揚して、インド人を英国に懐柔して大功あった。そのインド人が昨今ややもすれば英国を嫌い、英国の学者までもドイツ人を匈奴《きょうど》の裔《すえ》と罵《ののし》り、その身に特異の悪臭あり全く英人と別種なるよう触れ散らすを見ては、学説の転変猫の眼も呆《あき》れるべく、アリア種の馬の名が、一番高尚とかいう説も、礼物の高い御札で、手軽く受けられぬ。
精しい古語彙が眼前にないから確言は出来ぬが、独語にプファールデン(嘶《いなな》く)てふ動詞があったと憶《おも》う。果してしからばミュラーがアリヤ種で一番偉いように言った独語のプファールト、蘭語のパールト、いずれも支那の馬《マー》また恐らくはアラブのヒサーン同様、嘶声を採って馬の名としたのでなかろうか。わが邦の腰抜け学者輩が予がかかる言を吐くを聞いては、人もあろうに博言学の開山ミュラー先生を難ずると、それはそれはと大不敬罪でも犯したように譏《そし》るじゃろうが、孟子の曰く、大人に説くにすなわちこれを藐《かろん》じその魏々然たるを視《み》るなかれと、予は三十歳ならぬ内に、蘭国挙げて許した支那学の大親方グスタウ・シュレッケルと学論して黄色な水を吐かせ、手筆の屈伏状を取って今に日本の誇りと保存し居るほど故、ミュラーの幽霊ぐらい馬糞とも思わぬ。これほどの英気あらばこそ錦城館のお富に惚《ほ》れられるのだと自惚《うぬぼ》れ置く。それからダニール・ウィルソンいわく、新世界へ欧人移り入りて旧世界でかつて見ざる格別の異物を睹《み》た時、その鳴き声を擬《まね》て名を付けた例多し。アイ(獣の名)、カラカラ、ホイプールウィル、キタワケ(いずれも鳥の名)等のごとし。しかるに新世界にあり来ったインジヤンはこれと反対に、欧人将来の諸動物をその性質動作等に拠って名づけた。例せば馬のチェロキー名サウクイリ(小荷駄運び)、デラウェヤ名ナナヤンゲス(背負い運び獣)、チペワ名パイバイジコグンジ(一蹄獣)、またダコタ人は従前物を負う畜ただ犬のみあったから、馬をスンカワカン(霊犬すなわち不思議に荷を負う畜)と呼ぶがごとし(一八六二年版『有史前の人《プレヒストリック・マン》』一巻七二頁)。これ後世までもアリヤ種の言語かえって動物の声を擬《まね》て名とする事盛んに、いわゆる劣等種たる銅色人が初めて馬を見て名を付くるに、専らその性質に拠り決してその声を擬《まね》なんだ確証で、かかる反証が少なくとも二十年前に出でいたを知らぬ顔で、何がなアリヤ種を持ち上げんと勝手な言のみ吐いたミュラーは、時代|後《おく》れに今日までもわが邦一派の学者が尊敬するほど真面目な人物でなかったと知る。バートンはアラビヤに馬に関する名目多いと述べたが、支那人も古くから随分馬に注意したは、『爾雅』を始め字書類を見て判る。前足皆白い馬を※[#「馬+奚」、第4水準2−93−1]《けい》、後足皆白きを※[#「栩のつくり+句」、354−8]《く》、前右足白きは啓、前左足白きは※[#「足へん+奇」、354−8]《き》、後右足白きは驤《じょう》、後左足白きは※[#「馬/廾」、354−8]《しゅ》などなかなか小むつかしく分別命名しある。わが邦も毛色もて馬を呼ぶに雑多の称あり。古来苦辛してこれを漢名に当てたは『古今要覧稿』巻五一五から五二四までに見ゆ。とばかりでは面白うないから、何か珍説を申そう。
三年前、南洋の各地を視察した長谷部博士の説に、トルク島人闘う時|対手《あいて》やその近親の陰部に関し聴くに堪えぬ言を闘わし、マーシャル島人また仇敵の母の陰部を悪口する由(『人類学雑誌』三十巻七号二七八頁)。『根本説一切有部毘奈耶』に、仏の弟子|※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀夷《うだい》人相学に精《くわ》し、舎衛城内を托鉢して婆羅門居士の家に至り小婦を見、汝の姑は如何《いかん》と問うと、兎が矢に中《あた》ったように暴悪だと答う。※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀夷曰く姑の過ちでない、彼の両乳の間および隠密処に黒黶《くろぼくろ》と赤黶と旋毛《つむじ》、この三の暴悪相があるからだと教え食《じき》を受けて去った。その後またその家に至り姑に汝の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》は如何と問うと、仕事無精で瞋《いか》り通しだと答う。そこで前同様に教え食を受けて去った。他日他の居士の家に説法した時、その姑に※[#「女+息」、第4水準2−5−70]の事を尋ねると、生《うみ》の娘同様孝を尽くしくれると悦び語る、※[#「烏+おおざと」、第
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